はじめに

私とその天然ミネラルイオンの化粧品との出会いは、私がまだ大企業の最年少営業管理職として、毎日毎日充実しながらも強い精神的なストレスを受け、ひどい肌トラブルに大変悩んでいた時でした。
赤く膿んだニキビや黒ずみだらけの顔・・・。
次第に、外に出るのが憂鬱になり、なんとかトラブルを隠そうと、どんどん厚化粧になっていく自分が嫌でした。
そんなとき、天然ミネラルイオン化粧品の開発者である故・西村啓夫先生に偶然お会いしたのです。

これは、当時(2007年5月頃)故・西村啓夫先生がご自身の開発について語ってくださった天然ミネラルイオンスキンケアの誕生秘話です。

イオンとの出会いから化粧品誕生まで~3年間の闘い

美白工房社長の後谷さんが私をたずねてこられたのは、今(2007年5月)から5年以上も前のことです。
最初お会いしたときには、ふっくらとした頬と可愛い話し方から受ける印象とは裏腹に、若いのにとても芯のしっかりしたお嬢さんだなと感心したのを覚えています。
後谷さんは、その当時まだ20代前半。白くて綺麗な肌をされていましたが、ひと目でトラブル肌を克服したのだなとわかりました。
そして、私に会うなり開口一番こうおっしゃったのです。
『先生、日本中の女性をキレイにしたいんです。きっと、先生の開発されたスキンケア化粧品が役立ちます』
その熱意におされて、私は開発した化粧品のこと、そこに至るまでの人知れない苦労をお話ししました。
私はそれまで美と健康に関する商品の開発を目的として数々の研究を重ねておりましたが、あるとき友人の紹介でイオンの研究者であるS氏と知り合うことになり、彼の手作りである「イオンクリームとローション」と出会いました。
私は、その相乗作用による不思議な美肌力を直感として感じ、このイオンを主成分とした化粧品の開発を思い立ちました。
そして、『S・Cスキンクリーニング美肌法』として商品を完成させ、以来30年以上にわたって我が社のメイン商品として現在に至っております。
しかし、S氏の手作り商品は当時まだ厚生省の認可を受けていなかった為、商品化しても販売することはできませんでした。
そして、そこからの3年間はひたすら、認可を受けるのに必要な数々のデータ集めやクリアしなければならない沢山の問題の解決と、その手続きに必要な書類を完備する為の苦悩の日々を過ごすことになります。

以下に、『S・Cスキンクリーニング美肌法』が鉱泉剤の使用と化粧品として認可を受けて世に認知され、ユニークな商品として大きく売上を伸ばしていくまでの紆余曲折を記憶のまま記してみました。

いくつもの問題が発生!

1972年(昭和47年)、私は株式会社Lを設立し、商品製造に向けてスタートしました。
ところが、まず問題となったのが、主成分として使用する「鉱泉剤」の入手が困難であることでした。

「鉱泉剤(マイナスイオン原液)」は、医薬品として内服用、外用の効能効果(ニキビ、肌荒れ、切り傷、火傷など10種に及ぶ病名)が『日本薬局方』に詳細に明記されており、化粧品の原料にするにはとうてい採算がとれない高価なものだったのです。
手を尽くして調べた結果、幸運にも鉱泉剤のメーカーが家内の縁戚筋にあたる会社であることがわかり、適正な価格で入手ができることになりました。
さっそく製造を開始。1ヵ月後には第一回の試供品が完成しました。
そこで、厚生省に問い合わせをしたところ、

『鉱泉剤は医薬品のため化粧品に使用することは出来ない』

と言われ、せっかく鉱泉剤を入手して製造と商品の完成を見たのに、再び大きな難関が立ち塞がってしまいました。

厚生省からは、製造販売の認可を受ける為に次の4点の書類の提出を求められました。
①医薬品認可の厚生大臣許可証コピー1部
②製造に関する所定の書類と公共機関の分析表、 毒性試験等
③500人以上の肌テストモニター表(住所、氏名、年齢)
④モニターに施術(有料、無料)するには所轄の保健所へ申請する

たとえ、以上の書類が整ったとしても、『薬局、医師、薬品会社を通さないと一般では簡単に許可がおりない』というのが、相談した専門家の見解でした。
その上、保健所からは『無資格者が有料で美顔サロンはできない』と言われ(当時は美容師、治療師、医師いずれかの免許所持が必要とされていました)、またも壁にぶち当たってしまいました。
そこで、まずはサロン開設の許可を取るための色々な策を練りました。
有料で行うことが認められないのなら無料にして、美顔とは言わず「お顔の洗濯」と言うことにしてみたらどうか・・・
その発想から、名称は「スキンクリーニング」「S・C美顔法」(商標登録)ではどうか・・・
などなど。

この知恵をしぼった質問には保健所の担当官も容易に結論が出せず、結局、東京都の薬事課と相談をするとのことで、10日後に当社(併設サロン)を視察しに来ることなったのでした。
会社内の約30坪のフロアに、美顔椅子、鏡、旭ガラスが開発した超音波美顔器一式を設置し、美顔サロンと相談コーナーなども整備して「スキンクリーニング法」の実演をして見せました。
その結果、見事に美白の肌が実現し、美顔とは一言も表現しないで、あくまでも無料で行う「お顔の洗濯」との言い回しで通過させました。

そのとき、「超音波美顔器」もダメと言われたので、それにも「超音波洗顔器」とシールを貼り、ようやく許可が出た・・・ということで、なかなか容易ではなかったと記憶しております。
こうして、やっとサロン開設の許可は下りましたが、まだまだ化粧品製造の認可を受ける為の作業が残されていました。
けれど、この頃には、資金的にもかなり逼迫した状態になっており、『急がねばならない・・・』との気持ちの焦りや不安感を抱くようになっていました。

サロンが開設できたところで、次はモニターです。

500人のモニター募集に関しては、先ず、「週刊平凡」の記者に依頼して15行ほどの記事を書いてもらうことにしました。
“ニキビ、肌荒れ、しみ、小じわ、赤ら顔を気にしている男女(年齢は問わず)治癒するまで無料で施術を行います”。この記事が出ると1日に5人から10人の問い合わせと同時に、ポツポツと施術を受けたいと来る人も出てきました。
火がついたのは、ある日、報知新聞社の記者の取材を受け、3面3分の2頁に大きく写真入りで掲載されてからでした。
翌日から朝8時半には、会社の前に20人位の人数の行列ができるほどになり、1日平均50人位の施術を行う事になったのでした。

「S・C(スキンクリーニング法)」は、1人最低でも4~5回、約2ヶ月間行わないと本当に満足のゆく結果は得られません。
そんな条件下で、500人以上のモニターの結果収集は不可能であるようにも思われました。

結局、1年7ヶ月の歳月を費やして500人の「満足した」との声とサインを集め、厚生省に提出する書類を完成させたのです。 その間、収入はゼロでした。
あとは、厚生大臣の医薬品許可証写しの提出です。
その為、東京から九州(鉱泉剤の仕入先)にまで出向き、県の薬務課に事情を説明して写しを探し出し、やっとの思いで入手することが出来ました。
実は、この鉱泉剤は、明治時代より地元の県の認可を得て、漢方薬局、病院などで使用されていたのですが、途中で制度が変更になっていた為に容易には見つからなかったのです。

ようやく内務省の所轄になっていた昭和35年の中山マサ厚生大臣による医薬品許可証を発見して、なんとか書類一式を完備し、厚生省薬務課へ提出して製造許可を得ることが出来ました。

この間、オープンから数えて、既に2年3ヶ月が経過しておりました。

問題を乗り越えた結果...

苦しい期間もありましたが、以来30年以上、特に宣伝もせず、店頭販売も全く行わず、口コミだけで根強い固定客に支えられ、リピート率70%の実績を保ちながら今日に至っておりますことは、直感を信じて研究と開発に心血を注いできた賜物と自負しています。
また、原料となる鉱泉剤は、“1,000年前、弘法大師がこの場所でこの水を発見し、病気の治癒に使った”と言い伝えられているものです。
それは、何億年もの昔、地球の大噴火によって堆積した鉱石を風雨が溶かし、谷間の渓流となって流出したミネラル水やマイナスイオンを含んでおり、それら大自然の力は真に偉大なものだと思うのです。

後谷地保より・・・

OL時代からのひどいニキビ、吹き出物などの肌トラブルが、西村先生から頂いた「天然ミネラルスキンケア化粧品」によって 数か月間ですっかり治ってしまったことに、私が受けた衝撃がいかほどか、ご想像頂けるでしょうか? 皮膚科のお医者様に見てもらい、どんな薬を処方していただいても治らなかった赤く膿んだ発疹。 様々なスキンケアや民間療法を試しても満足のいく結果を得る事が出来なかった私の肌トラブル。 これを数か月で治してしまった西村先生の「天然ミネラルスキンケア化粧品」とそのスキンケア方法に惚れこんでしまったのは言うまでもありません。 そしてこの感動を、お肌に悩みを抱えているすべての女性に広く伝えていきたいと思ったのは自然な流れであり、ここが美白工房のスタート地点であったと思うのです。
それでは次は美白工房の起業時のことを少しお話したいと思います。

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